研究開発

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2.エンプラ

プラスチックスの概念を変えた現代社会の必需品

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今や私たちの生活に欠くことのできないエンプラ

21世紀に入り、私たちの生活環境は急速に、デジタル化・小型化・軽量化が進んでいる。例えば、以前は手書きで作成していた資料も、現在はパソコンで入力するのが当たり前。保存は記録したノートやファイルを積み重ねるのではなく、1枚のCD-ROMに莫大な量のデータを保存することができる。家電製品や車も、20年前の製品に比べ、比較にならない位、進化しているといった具合だ。
この進化に貢献しているのが、MGCの主力製品「エンジニアリングプラスチックス」である。
エンジニアプラスチックス(エンプラ)とは、工業用樹脂の略称であり、ものづくりの工程の中で、様々な物の材料となる耐熱性や機械的強度が格段に高いプラスチックスである。その特性を生かし、以前は金属やガラスで作っていた製品の部品にエンプラを使用することで、よりコンパクトで耐久性の高い製品の誕生が可能となった。
その一例を挙げるだけでも、パソコン、デジカメ、スマートフォン、CD、DVD、ブルーレイ、自動車、家電製品、サングラス、医療機器等、今や私たちの生活になくてはならない存在である。

研究者たちの「新しい事、面白い事への挑戦」が生んだMGCのエンプラ

エンプラは、ポリアセタール(POM)、ポリアミド(PA)、ポリカーボネート(PC)、変性ポリフェニレンエーテル(m-PPE)、ポリブチレンテレフタレート(PBT)を5大汎用エンプラという。
中でも、航空機・自動車など輸送機器、電気電子・光学・医療機器、防弾ガラスの材料等、私たちの生活に広く用いられているのが、MGCのエンプラ事業でも主力製品となるPCである。
PCは、1956年10月、ドイツ化学会誌『アンゲヴァンテ・ヘミー』に掲載された論文によって世界中に知られることになったが、三菱江戸川化学(株)(現・MGC)にもこの論文に着目し、自ら研究チームを発足させてPCの研究を開始した研究者がいた。研究はすぐに着手されたが、当時のメンバーはわずか3名。研究施設や設備も充分に整っていない環境でのスタートだった。こうして、MGCエンプラ事業の幕が開かれたのである。

トラブル改善から研究データを蓄積

research-img-enpla01エンプラの存在が知られるようになると、アメリカを筆頭に、PCの将来性に着目した各国の企業は開発に着手する。日本国内でも久野島化学工業(現・帝人化学)、出光興産(後に出光石油化学、現在出光興産に再統合)が企業化を目指す他、三菱商事がバイエルとマクロロンの輸入販売契約を結び、市場開発を進めていた。ここで、三菱商事は販売開始に際し、独自にPCの研究を行う三菱江戸川化学に技術協力を求める。研究を進めてはいるものの、販路を持たない三菱江戸川化学はこの申し出に合意。三菱江戸川化学の技術者はマクロロン販売に同行し、客先でのクレーム処理やトラブルの改善等、技術支援を担当することになった。
この技術支援で研究者達が様々なトラブルやクレームに1つ1つ対応していったことが、後の自社製品ユーピロンの開発に生かされることになる。

製造技術と技術営業で販路拡大

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セミコマーシャルプラント建設

research-img-enpla02a1959年、本社から大阪工場内に1バッチ200kg、月産30t規模のセミコマーシャルプラントの建設立案の指示が出された。しかし、MGCにとってセミコマーシャルプラントの建設も、毒性の強いホスゲンを大量に扱うのも初めての経験だった。そこで、東京工場に2kg/hのベンチプラントを建設し、ホスゲンだけでなく様々な安全性テストを行いながらプラントに反映させる方法で建設工事を行った。
1960年10月26日完工式を迎えるも、製造過程や品質面でのトラブルが相次ぎ、トラブル対処のため、急遽PC開発メンバーは大阪に転任。工場で開発・製造工程を一本化したことにより、様々なトラブルにも迅速な対処が可能となり、1961年4月、PC開発最前線の地となった大阪工場からMGC製のPC樹脂「ユーピロン」が発売された。
これは、バイエルのマクロロン販売から遅れることわずか3年。快挙と呼ぶにふさわしいスピード開発であった。

ユーザー相談の先駆けとなる技術営業の誕生

当時、営業職の業務は製品の供給や出荷を指し、注文・販路拡大は商社や問屋の担当業務と考えられていた。しかし、新たな材料として売り出したPCの場合、その使用用途も未知数だったため、従来の営業方法で販路拡大を目指すのではなく、MGCでは技術者が直接顧客を訪問する独自の「技術営業」というアプローチをとった。
技術営業とは、アメリカ等でのPC使用例の紹介や、様々な情報提供を行う他、ユーザーがどのような製品を作りたいのか、そのためにどのような材料が求められているのか、販売先の加工環境まで考え、最適な状態での材料提供を提案する業務であり、単に「売る」のではなく、「何にPCを使うべきか提案し、売れる状況を作り出す」つまり、ユーザーと共同で新製品の企画・開発を行うようなコラボレーションをし、ユーザーのニーズと自社のシーズの調整役になるといった具合である。
現在では各社にユーザー相談窓口が存在するが、この時代にはまだその存在は無く、技術の知識もあり、ユーザーのニーズを直接知ってサンプル提出のスケジュールを調整できる技術営業は抜群の存在感を発揮。ユーザーの新製品開発と共にPC需要を拡大するという着目は見事に的中し、MGCのPC販路は急速に拡大していった。

グレードとPCシートの開発

1960年代後半、PCの生産が軌道にのると、ガラス強化グレード、テフロン添加グレードの生産・販売が開始され、この頃普及した電卓のキーベースの材料として販売量を伸ばした。
また、PCシートも、従来の押出フィルムを複数枚重ね、鏡面板内で加熱圧着して1枚ずつ製造するという方法から、0.5~12.0mmというresearch-img-enpla02b肉厚なPCシートの連続押出生産を実現し、アクリルの独壇場だった厚物シート市場に、衝撃強度、難燃性、耐熱性で上回るPCシートを登場させることに成功。さらなる販路拡大を加速させた。
このPCシート製造技術は、加工に最適な温度の維持、回転ムラを極力抑えたロール機器の開発、切断制度の向上等の研究に取り組んだ結果、シート押出機専門ではないメーカーの装置と組み合わせた設備の構築にMGCが独自に成功した画期的なものであった。
MGCのPCシートプラントの技術は海外からも評価されるもので、後に、伊藤忠商事経由でソ連技術機械輸入公団からプラント輸出の打診があり、1975年、モスクワ東方200kmのジュエルジンスクにPCシートプラントを建設し、ソ連技術機械輸入公団より感謝状を授与されている。

時代の波に乗り急成長をとげる

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不況、回復、オイルショックと景気に一喜一憂、省エネ志向でエンプラ需要が拡大

PCの市場は着実に拡大し、発注を受けてから増産する方法では対応が困難となるほどになったため、連続プロセスによる増産計画「ICP計画(ユーピロン連続法プラント)」建設に向けたパイロットプラントが完成する等、更なる販路拡大に向けた準備を進めたが、1970年下期から突如不況の波が訪れ、拡大していたPC市場は一転、逆風にさらされることとなる。1971年、米ドルの金兌換を停止するニクソン・ショックが発生。経済が混乱し、巨額の投資を必要とする本計画は一時締結となった。
しかし、1972年になると日本列島改造論等の投機ブームが後押しとなり、景気が持ち直し、一時低迷したユーピロンの販売量も再び上昇。research-img-enpla03a注文が製造を上回るようになったため、投資額を抑え、合成樹脂の収益を確保しつつ増産を実現する「新ICP計画」を策定。増産体制を整えるため、新ICP工事を開始したものの、1973年下期より3期連続で販売量はマイナス、加えて、オイルショックにより、原材料すべて2倍近くに高騰。1974年の収益は、起業後黒字転換後初めての赤字となり、1975年、1976年と3年連続で赤字を計上することになる。
しかし、オイルショックを機に、逆風が思いがけない追い風に転換することになる。エネルギー消費を抑える「省エネ」という大波が起こったのだ。この省エネ志向により、「軽薄短小化」が進むと、まさにこれらの言葉を製品化できるPCの需要は一挙に広がり、以後、日本の自動車産業の躍進、家電産業の伸びに伴い、順調に拡大を続ける。

業界勢力図を書き換えたCDの出現とMO開発

1980年代、1つの製品の誕生がPCの歴史を激変させることになった。その製品とは、今私たちが日常的に使っているコンパクトディスク(CD)である。
1979年、世界初の音楽再生用CD採用に向け、音楽メーカーが樹脂メーカーにサンプルの提出を依頼。PCの他、アクリル樹脂、ポリスチレン等が候補に上がる中、強度・吸湿による反りが他製品よりも優れていることからPC樹脂が最適と採用された。しかし、プラントの完全クローズド化、空送時のエアフィルター設置等、求められるオーダーを実現するためには巨額の投資が必要とされたため、当時GSグレードに注力していたMGCはCD部門には参戦しなかった。
発売当初は10万円台後半と高額だったCDプレーヤーだが、各社がこぞって発売したことにより、一気に価格が下落。5万円を切る製品が発売されると、多くの人がレコードではなくCDで音楽を聴くようになり、1986年には遂にCDがLPレコードのセールスを上回り、世の中の需要が一変した。そこで、MGCも1985年、大阪工場に光学用PC向けパイロットプラントを建設。research-img-enpla03b光学用材料の開発に着手することになるが、音楽CD用材料の供給を行なってもすでに市場を手中にした他社に後塵を拝すると考え、将来の記録メディアとして開発途上であったリライタブルの高密度光磁気ディスク(MO)用の基板材料をターゲットに、独自の開発を開始した。
メーカーが100年保証を開発目標に掲げ、10ミクロン以下の異物も問題となるMO用の基板は厳しい環境テストをクリアしなければ採用されない。メーカーのディスク信頼性テストに向け、品質向上のための研究は続いた。テストでは、ユーピロンのみ樹脂に腐食が発生せず、その長期信頼性が高く評価されたため、1986年秋からの採用を獲得。このニュースは、学会、研究会等を通じて業界に広がり、MGCのグレードPCの品質の高さが広く認知されることとなった。

ユーザーニーズに合う製品を短期間で

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商品化しやすい加工を考え、提供する営業でディフェクトスタンダードを取る

現在、私たちの生活の中にあるPC製品は、OA機器から航空機・自動車部品まで最も広い用途を持つ「ユーピロン」、剛性・耐衝撃性から金属に変わる素材として注目され、時計やヒーターの部品に使われる「ユピタール」、高温で強度・弾性率が高い金属代替材料として、自動車・車輛分野等、力のかかる機構部への販路拡大が期待される「レニー」、非結晶で成形温度範囲が広く、形成が容易で高い耐熱性と難燃性を有するため、複写機・ファクシミリ・プリンター等の事務機器の部品から、ホイールキャップまで身近な製品に使用されている「ユピエース」等がある。
これらの材料を、ユーザーの用途に合わせて提案型の営業を行う技術営業担当者は、
「ユーザーはMGCの製品を加工して商品化します。ですから、MGCの製品をユーザーが加工しやすい状態にしてお届けするのが技術営業の仕事です。research-img-enpla04a例えば、開発者から私の手元に魚が1匹届いたら、ユーザーが料理しやすいように切り身に加工してお届けする。さらに、この魚に最適な調理法のレシピも付けるといった感じです。商品に新たな材料を使用する場合、ユーザーもどう加工するのが最善なのか、試行錯誤を続けているものです。そこに加工技術を提供できることは弊社の強みです。」と語る。
時代の変遷と共に、様々な日用品で軽量化が進められ、金属からPCへと部品の材料も変わってきた。製品開発、製造、ユーザーの技術対応まで一貫して行ってきたMGCでは、良い製品を作るだけでなく、技術サポートを積極的に行い、ユーザーニーズに合った製品の提案を行うことで、多くのディフェクトスタンダードを手にしてきたのだ。

ユーザーニーズに合わせて変わっていく企業努力

材料の販売を行う企業にとって、家電メーカーと共同で行う新製品開発は、製品販売までの期間が平均半年と短いため、開発者は時間との戦いに挑むこととなる。
その闘いの1つ、コピー機のプリンタの部品開発経緯について開発担当者は、
「現在、コピー機やレーザープリンタ内蔵のトナー用ドラムにはPCが使われていますが、以前は金属が使用されていました。金属の内蔵ドラムには毒性があり、排気の問題もあったため、毒性がなく、耐久性、耐熱性に優れた素材が必要と考えたメーカーから、代替にPCを使用したいとの依頼を受け、開発を進めました。通常は、研究→サンプル作り→検査→分析→修正といった工程を経て初めてユーザーにサンプルを提出するのですが、電機メーカーはリアクションが早く、打合せから1週間でサンプルを提出することに。その後、分析、問題点の改善、再度サンプル作成という作業が半年近く続き、日々時間との戦いを強いられました。しかし、その商品は毒性とは別の問題で発売が見送られたため、ここで終了かと思ったところ、引き続き次の段階への開発が始まり、さらに10ヵ月の開発期間を経て、遂にPCのトナー用ドラムが完成。それを内蔵したコピー機が発売されました。メーカーは、商品発売期日が決まっているため、1つでも材料が欠けては作業が止まってしまいます。納入期限を厳守できなければ、どんなに良い物でも、安い物でも採用されません。この経験から、期限内にどれだけのことができるか、いざ開発が始動する前にどのような準備をしておくべきかを考えるようになりました。」と、当時の開発秘話を語ってくれた。

PC生産量増大により鹿島工場建設、三菱エンジニアリングプラスチックス設立へ

CDの登場によりPCの需要は一気に伸び、その後、レンズ等の光学製品、ヘッドランプや自動車のグレージング等、使用範囲は拡大していき、PCが5大エンプラで最も生産される樹脂となったため、自社プラントだけでは受注を捌ききれないという見通しから、国内最大規模となる新鋭工場の設立を検討。手狭な敷地内の増設で対応してきた大阪工場は、光学グレードの主力工場とし、鹿島工場の敷地内にユーピロンの標準グレードを生産する工場を建設することになった。鹿島工場は1989年12月に完工。試運転を経て、research-img-enpla04b1990年2月1日から営業運転に移行した。
また、この時期のPC需要の拡大は、企業間戦争も激化させた。
MGCは、コア事業に位置づけられているエンプラ分野で競合メーカーとの争いを勝ち抜くため、同じ三菱グループの三菱化成(現 三菱化学)をパートナーとして、1994年3月1日、新会社「三菱エンジニアリングプラスチックス(MEP)」を設立。
MGC の持つPOM、PA、PC、m-PPEに三菱化成の持つPBTを加えた5大エンプラすべてを自社製品に持つMEPが、その強みを生かし、ユーザーの要望にいち早く応える素材提供でユーザーにとって大きなメリットのある企業として成功を遂げると、激化する企業間戦争で一時伸び悩んでいたMGCの合成樹脂事業の収益も急速に回復を遂げた。

目標は世界シェア20%。大きな可能性を秘めたエンプラ

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海外進出

エンプラ事業でも、他の事業部同様、さらなる販路拡大に向けた海外進出プロジェクトを推進している。MGCの樹脂事業の海外進出は1987年、現地企業との合弁で『KOREA ENGINEERING PLASTICS CO., LTD(KEP)』を設立、POMの生産を開始したのが最初となる。
その後、1995年7月、東南アジア初のPOM生産販売事業会社『THAI POLYACETAL CO.LTD. (TPAC) 』、翌年5月に『THAI POLYCARBONATE CO., LTD. (TPCC) 』を設立。タイ有数の工業地帯であるバンコクのラヨン県マプタプット地区にプラントを建設。TPACは2001年に設備増強計画を行い、2003年に完工、4.5万t/年の生産能力となった。
そして2012年、MGCが総力を挙げて計画を進めていたのが上海工場の建設である。『三菱瓦斯化学工程塑料(上海)有限公司』では、2系列10万tの生産能力で、主にPCの汎用グレードを生産している。 今後、世界シェア20%を目指すPCは汎用分野で厳しい価格競争が行われると予想されることから、上海工場建設は、競争が激化する中国、アジア地区をTPCCとともに支えるという使命を持った事業展開となる。

営業マンや技術者の感性が新製品を生み出す

エンプラの需要拡大は、私たちの身の回りのものをより便利にしてきた。
今後のPCの可能性や取り組み方について、開発担当者は、
「1つのものを研究・開発・製品化するまでには長い時間を要します。ですから、ニーズに対して速やかに提案できる知識のストックを多く持つことが重要になります。常にニーズを想定して様々な角度から準備をしておき、依頼が入ったら最適なストックに微調整を加えて製品にします。つまり、今後さらにPC市場を大きくするためには、日頃からこの先どのような物が必要とされるのかを読み取る感性と準備が必要とされます。」と語り、技術営業は、
「PCの機能1つをとっても、開発当初の強い・硬いから、近年は透光性の高い物へとニーズが変わったように、ユーザーが作る商品にどのようなニーズがあるかによって、我々の提供する材料の性質も変化し続けます。ここ10年で家電等を中心に、重い物が軽く、コンパクトになったことは、樹脂開発の大きな成果だと思います。その時々でユーザーが材料に何を求めるかを的確に捉え、ユーザーと共に新たな商品を開発していくのが我々の役割です。今では、銃弾を打ち込んでも割れないほど強いPCの特性を生かして新幹線の窓ガラスの代替になるなど、全く違った用途の材料になることもあります。PCの可能性はそれくらい大きいのです。今も、そしてこれからも、PCは我々の暮らしを豊かにするために欠かせない物だと思っています。」と今後のPC開発について語る。
いかにニーズに合わせたシーズを提供するかは、ユーザーの意図をしっかり汲み取り、現場に伝える技術営業と、迅速に対応して製品化する研究者との協業体制にかかっている。
今後も、MGCの強みを生かしたテクニカルサービスを行うことでユーザーのニーズに応えながら、エンプラ事業の更なる可能性とポジションの一層の向上を目指し、進化を続けていく。