研究開発

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1.メタノール

独自技術でエネルギー需要に応える

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1952年
新しいビジネスモデルの誕生

化学工業において重要な基礎原料のひとつであるとともに、クリーンエネルギーとして将来を期待されている燃料、それが「メタノール」だ。そのメタノールをいち早く地球規模のビジネスネットワークとして構築したのが三菱ガス化学(MGC)である。
MGC(当時は日本瓦斯化学工業)が、新潟で自社開発の天然ガスを原料とするメタノールの生産を開始したのは1952年のこと。現地で算出される資源を利用した独自技術によるプラントは、日本の天然ガス化学工業の幕開けであると同時に、まったく新しいビジネスモデルの誕生だった。メタノールは主にホルマリンの原料となり、最終的には接着剤やさまざまな樹脂の製造に必要となる。経済成長が本格化しはじめていた当時の日本ではメタノールの需要が伸び続けており、このMGCの成功以後、次々と同じようなプラントが建設されたのだった。

1975年
海外進出に先鞭をつけたプロジェクトが始動

しかし、やがて時代は転換期を迎える。
安価な外国産メタノールの輸入が増えてくると、現料であるナフサなどを輸入に頼っていたり、外国企業から製造プロセスのライセンス供与を受けていたメーカーは対抗できなくなっていたのだ。
このような状況にあって、唯一、自社技術をもち、ガス田の開発から誘導品製品製造まで一貫して行っていたMGCは有利な立場ではあったが、それでも1970年代に入ると海外生産を真剣に考えるようになる。ちょうどそのころ、中東のサウジアラビアでは原油輸出に次ぐ新たな産業の育成が国家的な課題となっており、そのひとつとして化学工業の振興が挙げられていた。
こうした状況で1975年、同国政府から相談を受けた日本の商社が声をかけたのがMGCだった。メタノールの生産能力で国内トップの地位を確固たるものにしていたのが、その理由だ。


世界最大級のプロジェクトに多くの課題

さっそく、事業化の可能性を探るフィジビリスタディ(実行可能かどうかを見極める調査・検討)が開始された。
今でこそ世界のメーカーが海外に生産拠点をつくるのは珍しくない。しかし、ほとんど前例のないこの時代、経営上のさまざまなリスクを考えれば、このプロジェクトは無謀なチャレンジに思われた。
なにしろサウジアラビアで計画されていたメタノールプラントの年間生産量は世界最大級の60万トン。research-img-methanol01これは当時国内最大だったMGC新潟工場の約1.5倍にもなる規模だ。さらに調査を続けていくと、解決しなければいけない課題があまりに多いこともわかってきた。 生産したメタノールを中東から日本まで運ぶためには、新たに輸送船を建造しなければならず、販売・備蓄のための受入基地の建設も必要だった。また、これだけの生産量は日本国内だけで消費ができないため、アジア方面の販路開拓もMGCに課せられることになる。つまり、生産拠点をひとつ海外につくるということは、同時に世界規模のビジネスモデルを構築するのと同じことなのだった……。

「サウジアラビア」PROJECT 目指したのは世界最大の生産工場

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1983年
ついにプラントが完成しメタノールの生産を開始

これらの課題にMGCの社員たちは立ち向かっていった。
まず販路の拡大は、台湾企業などへの売り込みを成功させ、メタノールの流通網そのものを大きく変革した。同時にアジア全体の工業化を予測してシンガポールに中継基地の建設を決めた。また現地の工事を最小限にするため、日本の重工メーカーにプラントをモジュール単位で完成させてもらい、大規模な海上輸送でサウジアラビアまで運ぶという大胆な作戦を考えた。research-img-methanol02a
これらの計画を前提に、1980年には日本とサウジアラビアの対等出資による新会社AR-RAZI(Saudi Methanol Company)が発足した。
そして1983年2月2日、ついに完成したばかりのプラントから最初のメタノールが産出される。三角フラスコに取り出されたファーストドロップは、まだ機械内部の錆などが混じり薄黒い色をしている。それでも匂いを嗅ぐと、確実にメタノールの芳香がした。
「おめでとう!」
AR-RAZIにおける公用語は英語だったが、生産開始に備えつめかけていたMGC社員たちから、その瞬間、日本語の歓声がわき上がった。


サウジアラビアのプラントは年間60万トンの安定操業を続ける

サウジアラビアのメタノールプラントは順調に生産を続け、1983年に運転を開始した1号基は、当初の計画通り年間60万トンの目標値をクリアし安定操業を続けた。これは海外生産を行う化学会社にとって画期的な成果である。砂漠の中という厳しい自然条件の中で、設計仕様通りの生産量を維持し安定操業するプラントは、他には例がなかった。それだけに、前後して多くの海外メーカーを受け入れたサウジアラビア側も「MGCの工場が最大の成功例だ」と絶賛するほどだった。その成功には大きく2つの理由があった。
ひとつは、徹底的に現地の自然環境条件を検討し設計を行ったことだ。当時の電子機器の技術レベルを勘案して、電子式のセンサーは極力避け、できる限り空気式、機械式のもので制御するようにしたのである。当時、中東に次々と建設された他社のプラントは、最新の電子式を採用していたため、砂漠特有の過酷な温度と砂塵ですぐにresearch-img-methanol02b壊れてしまう。そのような状況のなかで空気式、機械式を採用したMGCのプラントだけは安定操業を続けたのだった。
もうひとつは、現地の技術者への教育、技術移転をしたことだ。海外進出を決めたとき、MGCでは「現地の資源を使わせてもらうのだから、私たちは技術を提供し、お互いにメリットがあるような付き合いをしよう」という方針をとった。AR-RAZIのプロジェクトでも、決して日本人だけで仕事を進めるのではなく、働く者が一体となって事業を成長させていく組織を作り上げたのである。その結果、得られた高い人材の質が、安定した運転へとつながった。


工場の増設で単独メタノール工場として世界最大の生産量へ

メタノールプラントの成果に満足したサウジアラビア政府は、すぐに工場の増設を提案してきた。
1980年代以降、AR-RAZIの成功をみた世界の化学メーカーが新プラントの建設を進めたため、世界のメタノールの生産量は増え、市場も拡大し、MGCにとっても大きなビジネスチャンスとなる。
1991年に第2期、1997年に第3期、そして1999年に第4期の建設が行われ、2008年、AR-RAZIで5基目となる超大型プラントが完工した。5基のプラントを合わせた総生産量は年間500万トンにのぼる。これは単独のメタノール工場として世界最大のものだ。

「ベネズエラ」PROJECT リスクを乗り越えるMGCプライド

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1989年
世界的なメタノールメーカーとして新たな目標

しかし、生産地の偏りは販売戦略上、決して有利とはいえない。
そこで、AR-RAZIの増設と同時に並行して進められたのが、南米ベネズエラにおける新プラントの建設だった。AR-RAZIで生産したメタノールは、日本とアジアだけでなくヨーロッパにも出荷していたが、大きな市場であるアメリカは距離的に遠く、販売が難しかった。
すでに世界的なメタノールメーカーとなっていたMGCにとって、アメリカでの生産・販売が次の目標となっていたが、それに最適なのが南米ベネズエラだったのである。


MGCの技術力とビジネスノウハウによりベネズエラでの成功を確信

地域最大の産油国であるベネズエラは天然ガスの埋蔵量も多く、サウジアラビアと同様に工業化を望んでいた。そのため、1980年代後半には多くの化学メーカーに事業化を打診していたのである。
しかし問題となったのは、カントリーリスクだった。当時のベネズエラは政治や経済面で安定しているとは決していえないため、メタノールのような巨額な投資を必要とする事業を始めるには問題が多かった。それでもMGCがresearch-img-methanol03a地進出を決めたのは、成功への確信があったからだ。
そのころ、MGCではメタノールの生産効率をさらに高めるための研究開発を続けていた。その技術力が生み出す競争力と、サウジアラビアで培ったビジネスのノウハウを組み合わせれば、ベネズエラで有利に事業化を進められるのはMGCだという自信があったのだ。
サウジアラビアの成功によって、MGCのメタノール生産技術は世界的にも注目され、多くの国からライセンスの供与を求められていた。
つまり、製品だけでなく、技術そのものが「商品」になる力をもっていたのである。

1994年
技術者たちの努力により生産効率を高めた新方式を開発

メタノールプラントの反応器は、従来、何段もの触媒層を使うクエンチ型と呼ばれるものが主流だった。しかしこの方式では温度制御が難しく、大型化できないという欠点があった。そこでMGCでは、新しくバイオネット型という反応器を完成させ、生産効率を大幅に高めようとしていた。
スーパーコンバータと名付けられたこの方式では、1系列で年産90万トン以上もの大規模プラントが実現する。これは化学工業史において画期的な成果だったのだ。ベネズエラのプラントには、この新方式を導入する予定だった。
しかし最終段階になって導入は見送られることになった。リスクの多い事業を始めるにあたって、コストの削減は大前提だったからである。また、現地の運転体制などを考えたとき、実績のあるプラントのほうが技術者たちのresearch-img-methanol03b指導もしやすく、結果的にこの決断は正解だった。
もっとも新方式を開発した技術者たちの努力は決して無駄になったわけではない。AR-RAZIの3号機と4号機にはスーパーコンバータが採用されたからだ。
そうして、1994年にベネズエラのMETOR(METANOL DE ORIENTE, METOR S.A.)は操業を開始した。その後、米国、欧州、南米を中心とした世界市場での販売を拡大するため、続く2010年には2基目となるプラントを増設。現在は年産160万トンに増強されている。メタノール事業は、技術開発を担当する新潟工場と共に、世界的な販売・輸送ネットワークが一体となった強固なトライアングル体制を構築し、文字通り、世界を代表するメタノール企業となっていた。

「ブルネイ」PROJECT 文化の違いを越えてアジアマーケットに挑む

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2002年
新たな拠点を求め、工業化を推進したいブルネイに着目

サウジアラビア・ベネズエラプラント成功を経て、MGCは次なるプロジェクトに着手した。そこでターゲットとなったのがボルネオ島北部に位置するブルネイ(ブルネイ・ダルサラーム国)である。天然ガス・石油といった豊富なエネルギー資源に恵まれたブルネイは、三重県とほぼ同じ面積に約40万人が暮らす小さな国。エネルギー資源による収入で、国民は所得税・医療費が無料。約7割が公務員という経済的に豊かな国である。しかし、天然の資源を使用し続けるには限りがある。国王は、自然資源を活用した工業を推進し、資源だけに頼らない工業国として国を発展させようと考え、2002年海外企業に向けて企業誘致を行ったのだ。MGCにとってブルネイは東南アジア・極東アジア・アメリカ西海岸へのアクセスがよく、アジアの拠点として魅力的な立地であった。MGCは伊藤忠商事㈱(ITC)と共にメタノールプロジェクトを提案。工業化のノウハウを持たないブルネイにとってMGCは最高のパートナーになるはずである。しかし当初、「現在国民は十分豊かに暮らしているのに、資源である天然ガスを用いて、新産業である化学プラントの設立が必要なのか」
research-img-methanol04aと一部で異を唱える声も多く、ブルネイ側の温度差は大きかった。 そのため、国王が推進する工業化とは、実際のメタノールプラントとはどのようなものかを関係者に理解してもらう必要があった。そこで、すでにメタノールプラントを稼働させているサウジアラビアにブルネイのエネルギー大臣を招待した視察を敢行。プラントが稼働する様子や、現地の人たちが働く様子を見てもらい、サウジアラビアの関係者からはインフラ整備、雇用、工業化の必要性等、プラント設立で得た事や経験談を語ってもらうことで、プラント設立への温度差を埋めて行くことにした。

2004年
ブルネイプロジェクト始動、未開拓の地に巨大プラントを立てる

この視察は、ブルネイ側関係者をプラント設立に対して前向きにするきっかけとなり、その後のインフラ整備におけるブルネイ国内での交渉にも大きく影響を及ぼした。2003年ブルネイ企業誘致の入札に応募し、2004年、MGCはブルネイ政府より候補プロジェクトに選定され、優先交渉権を取得。この時点から、行政、金融、インフラなど、プロジェクトの推進に必要な関連各所との交渉がスタートした。
research-img-methanol04a その後MGCはITC及びブルネイ公営企業3社とメタノール製造会社の設立に関する合弁契約を結び、2006年に「BRUNEI METANOL COMPANY SDN.BHD.(BMC)」を設立した。早速現地に担当者を2名配置したが、本格的にプラント設立準備を開始するものの、当時の建設予定地は木々が生い茂るジャングル。電気・水道などのインフラ整備など全くない未開拓の地にどのようにして巨大化学プラントを設立すればよいのか?担当者は途方に暮れ、前途多難を予感させられたという。

2007年
ソフト面の充実へ、研修で核となる人材を育てる

プラント設立と並行し、人材というソフトの力もプロジェクト成功には欠くことのできない鍵となる。
初めに、現地での実務経験者、工業専門学校出身者を含む技術系10名を採用。プラントが本格稼働した際に、核となる人材に工業プラントでの仕事の基礎からシミュレーターを使った運転実技等の教育を開始した。
2007年、12名のキーパーソンを新潟工場に派遣し、実技研修を行なった。しかし、研修プログラムを開始すると、資源豊かな国でのんびりと暮らす文化を持つブルネイ人と、日本人との仕事への考え方の違いを目の当たりにすることになる。メモを取る取らないの細かいところから、仕事に取り組む姿勢まで、人材育成では、異文化で育って来た者同士、何度も同じ事を繰り返しながら、歩み寄る努力が必要とされた。これは、予想以上に時間と根気を要する作業となった。
その後、プラント建設が進み、雇用人数も順次増員。初期の研修メンバーがスタッフ教育を担当して現地研修を行い、稼働に向けた準備を進めていった。research-img-methanol04b
2009年、ベネズエラのプラントが2年に1度の定期修繕期間を迎えたため、ブルネイのスタッフをベネズエラに派遣し、メタノールプラントの内部を見学する研修を実施した。ここでは、ベネズエラのスタッフも研修に協力してくれた。ブルネイのスタッフにとって、自分達の少し先を行くベネズエラのスタッフから学ぶ事は多く、ベネズエラのスタッフも教える立場となることでこれまで以上に自覚とやる気を高めることとなった。

2009年
プラント完成

2009年、プラント建設にも、文化の違いによるトラブルは生じていた。
「スケジュールは遵守するもの」という日本では当然の文化を理解してもらえないのだ。契約・工事日程等、各工程でresearch-img-methanol04c少しずつスケジュールに遅れが生じていた。年末完工のスケジュールが狂えば、予算にも変更が出る。現地の日本人スタッフは、遅れを取り戻すため各方面に交渉を行い、スケジュール調整に奔走する日々だった。また、日本で対応するスタッフも資金面等事務方の調整に力を注いだが、年末完工は絶望的との目算は否めない状況であった。
それでも一同、諦めずに年内建設を目指した結果、年の瀬も押し迫った12月31日、遂にブルネイにとってはじめての化学プラントが、無事完工したのだ。

果てなきMGCの挑戦は続く

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2010年
相次ぐトラブルを乗り越えるため力を結集

プラントが完工した喜びも束の間。2010年の年が明けると、4月の商業運転開始を目標に1月初旬から試運転が開始され、ここで更なる苦難が待ち受けていた。ガス供給のトラブルをはじめ、停電・自然環境・メカニカル・オペレーションとすべての過程でトラブルが相次ぐ。その度にプラントが止まり、また立ち上げるという作業を繰り返すため、一向に試運転が開始できない日々。現地のスタッフは、トラブルが発生する度、昼夜を問わず根気強く目の前のトラブルに立ち向かい続けた。
プロジェクトを絶対に成功させなければならないという責任感と、トラブルに立ち向かう仲間を見てお互い他の人には負けられないという高いモチベーションから生まれた「プロ×プロ」「日本×現地」の力の結集により、ようやく試運転が成功したのは、試運転開始から2ヵ月後であった。


今を次なるプロジェクトにつなげる

2010年4月、ブルネイ国発のメタノールプラントから、製品のファーストドロップ、5月24日には製品が初出荷された。
翌日、5月25日には、ブルネイ国王主催のオープニングセレモニーが実施され、ブルネイ国王をはじめとするresearch-img-methanol05a政府関係者や、日本からも多くの来賓が駆けつけた。このセレモニーの模様は、ブルネイ国営放送のテレビ放送をはじめ、NHKワールドでも放映されるニュースとなった。
1つのプロジェクトは、企画・立ち上げから、プラント建設、製品の安定生産・出荷まで、10年~20年という長い時間をかけて進行するが、想定された安定利益を生み出し、運営できてこそ初めて成功と言える。その意味では、出荷量が年々増加し、近年は安定利益を見込めるようになってきたブルネイのプラントは、現在プロジェクト成功途中にある。
今後は、安定収益を上げる事に加え、人材育成やインフラ整備の他、その国に求められる「何か」を提供することで、プラントができて良かったと思ってもらえるようなWIN-WINの関係構築をすることもプロジェクトの一部となってくるだろう。

2013年
積極的な取り組みの先に見えた新たな兆し

およそ6000万トン規模にもなる世界のメタノールは、基礎化学原料として安定的に需要成長が見込める市場だ。液化石油ガス(LPG)代替品として注目されるバイオディーゼルなどのクリーン燃料(DME)や燃料電池の水素キャリアーとしての期待も高い。research-img-methanol_futureMGCでは積極的に投資を続け、生産・物流・販売・誘導品製造・利用技術の開発を含めたネットワークの拡充を進めていた。
そんな中、ベネズエラの隣国にあるトリニダード・トバゴ共和国において、同国政府・企業ともに事業化調査を開始することになる。最終投資判断が下れば、メタノール、ジメチルエーテルの製造事業が可能となり、同国のみならずカリブ周辺国の経済成長の下支えも期待できるだろう。現在、2018年度中の生産開始を目指し調査が続けられている。

未来へ
新技術の導入でさらなる生産能力拡大に挑む

天然ガスの資源国に進出し事業を拡大していくためには、生産技術の開発も重要なテーマとなる。技術改善もコスト競争力の差を生み出す重要な戦略と位置づけているためである。
MGCでは長年の研究を重ね、メタノール製造の際に発生する問題点を解決するスーパーコンバーターを三菱重工と共同で開発している。research-img-methanol05bまた、常に新しいメタノール合成触媒の開発をはじめ、製造技術の改良に取り組んでおり、メタノール市場における技術優位性を世界へさらにアピールしていけると考えている。 国際商品として世界中で生産され、世界中で消費されているメタノール。MGCのメタノール販売量は世界第4位(※推定)、年間約250万tを取り扱っているMGCは、技術とビジネスのノウハウを駆使してこれからも挑み続けていく。